補完するもの

最近、たわむれにやってる習字。 

先日、発達障害関連のセミナーに出席したのだけれど。 特性のある子どもの、いわゆる困り感がどんなものか、という具体例が聞けたのだが、 

あれ これ、全部わたしの話やん? ってのがあるある過ぎて、とても不思議な気持ちになった。 

会自体は、なんだか深刻なようなフワフワした感じで、どうすればいいのだ?って感じではあったけど。やはり集団、避けて通れないわー… 

ダディヤンは常に損得感情のひとなので、合理的過ぎて損してるみたいな、むしろ不器用なくらいのひとで 怒られる=損、なので細心の注意を払って優等生になれる。

わたしとジョンは、なにより自分の気分や衝動が大切で、怒られるとかふっとんでやりたいことをやり、当然めちゃ詰められて

なんでや…なんで怒られるんや…

てなってしまうタイプである。 

理性サイドで考えれば分かるけど、それが正しいとは一生思えないタチなのだ。 わたしは今も、瞬間やりたいことが最善だと思っている。それこそが人生だとも。

もちろん、そんなのは社会に受け入れられないとも分かっているので、 理性のコントロールセンターたる「システム手帳」に全面的に依存している。 あらかじめ考えて、手書きしたことは、恐ろしいほど常識的で社会適合しているからだ。

活字中毒だったせいか、わたしは書かれたものの言うくことは聞く。盲目的に聞く。 

それを頭の中で完結することは、わたしにはできなかった。書かずに完結できれば、より一層スマートだったろう。 ジョンは、数値を盲目に信じられるみたい。

マイペースLIFE

物書き/ おばちゃんパート。凹凸兄弟&旦那あり。WEBのおうちはココです。

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