このころのこと、少し思い出してみたりしています。
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まず、私が通っていた大学のスペックを簡単にお話ししましょう。
★周辺エリアではいちおうトップとされる国立大、いわゆる帝大
☆学部はすこし女子多めな文系
派手なタイプの子は、ほとんど存在しませんでした。
女の子なら、小さいころからピアノと公文・中学校から進学塾をこつこつ頑張って、高校までそこそこ上位を保っていたような優等生。男の子は、元気いっぱいだけれど気持ちがピュアですれておらず、頭もキレるタイプが多い。
私は直前の過集中で、奇跡的に受験の戦を勝ち上がってしまった成り上がり者でした。
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入学してすぐ、バイトをしてみました。
はじめて働いたレストランはオープニングスタッフで、バイトは皆なかよしでした。私も楽しくやってはいましたが、飛びぬけて仕事ができませんでした。ともかく皿を落とすし、注文を覚えられないのです。バイト内でカップルができていく(よくあることです)のを横目で眺めながら、必死でついていこうとしました。怒られるばかりで自己肯定感はダダ下がりでした。
ある日、お客様の毛皮コートにジュースをこぼしました。私は震えながら「すみません」と謝りました。お客様は「なんなのこの店!?」と怒りました。鬼の形相でチーフに呼び出され、お前はずっと皿洗いをしろと命じられました。
仕事では、私ではなくお店が怒られてしまうのです。
それは決して取り返しのつかないことなのです。
皿洗いをしていたら、他の皆は時給があがったらしいと噂を聞きました。私はやる気をなくしてシフトに入るのをやめました。気づいたら、クビになっていたようでした。
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学部の新人歓迎イベントや、さまざまなサークルに顔を出してみました。飲み会はいつも最高に楽しいけれど、そして一瞬みなに愛されるんだけれども、なぜか朝になると特にそうでもないのです。活動そのものにはあまり興味がありませんでした。飲み会だけ来る人…それって、嫌われはしないけど疎まれがちなんです。
私ははじめての一人暮らしで、さみしさを感じていました。
人の輪に入りたいけれど、興味がないことを楽しむことはできません。集団で何かしようというとき、全然集中できないのです。人の話をたくさん聞かなければならないし。たいへん失礼な態度だということは分かっていたので、適当なラインを見つけて参加していました。ともかく真面目な子が多い大学だったので、「適当」であることは割と重宝されたのです。
どこにいっても何となく浮いていて、そのうち、「浮いているけど存在が疎ましくない人」のポジションを常にとる技術が身についてきました。20年近く経った、やっと最近のことですけれど。
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ボーイフレンドも何人かできました。だいたい、最後はドン引いて去っていきました。今思えば私は恋愛において、完全に自他の境界を越えてしまっていたのでしょう。
思い返すと、彼らには申し訳ないなあという気持ちが残ります。大変だっただろうなあと。そしてボーイフレンドは皆、まだ友達なのです。特段なかよいわけではありませんが、そして恋愛感情が芽生える可能性は絶対に絶対にないんですが、女の子の友達より500倍くらい気楽です。
私は彼らを無条件で好きだし、信頼します。100%の純度で、幸せでいてほしいと思います。最高に良い人間だと思っています。なぜだかわからないけれどそうなのです、そしてそのような考えになれたのは、今そばに夫がいてくれるからなのだろうと思います。
どこまでも依存体質。
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ああ、ひとりだけ二度と会うことのない男がいます。
大学最後の恋愛は、人生最大の痛手でした。相手は私を好きではないと言い続けました。未熟者だからそばにいてあげるんだと言いました。そのとおりだったのでしょう。重なるように卒論がはじまって…私はもう、これほどにないくらい、卒論に興味が持てませんでした。
興味がなくても何とかごまかせるほど、私は生半可じゃありません。
指導教官と学生のあいだにある師弟関係みたいなものも、全然好きになれませんでした。
ほうぼうボロクソに叩かれて、私はついに病みました。このときは本当にやばくて、部屋で暴れまわって相手の男性を恐怖で震え上がらせたりしていました。摂食障害も自傷もレベルMAXでした。カウンセリングも受けましたが、あのときのカウンセラーさんはなかなかに最悪でした。心療内科は恐ろしいほど相性があいませんでしたが、通い続けました。それこそ失敗でした。
なぜ私がそうなのか、誰も理解できなかったし
なぜ私はやれないのか、私は少しもわかりませんでした。
消えたくて死にそうでした。
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私は、優等生で真面目な人々に疲れ果ててしまいました。
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母も父も、人生ではじめて私を理解しようとしていました。私が壊れてしまうのを恐れました。しかし、私はもともと壊れていたのです。小さいころからほんのすこし人と違う部分を、自分を壊しておくことで何とかごまかしてきたのです。しかしギャップが大きくなりすぎて、相当まで自分を壊さなければ対応できなくて、ついにボロボロになってしまったのでした。
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私は何度も中退の危機にさらされながら、これまた奇跡的に大学を卒業しました。
優等生で真面目な環境はうんざりだったので、わざと畑違いの零細企業を選びました。そこは素晴らしきかな、ブラック企業でした。苦痛も怒りも理不尽も死ぬほど味わいましたが
大学のときより、ずっと辛くなかった。
みんな生きている感じがしたし、ずっとおおらかでした。世界は広くて、もっと汚れたものでした。私は汚れたものたちに安心しました。それでいいのです、それだから人は生きていけるのだと。
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今は、やっぱり…仕事が大好きです。
そして、どうしても優等生にはなれないみたいです。
全身全霊で定型さんに合わすのは、全力の自己否定だからやっぱ避けたほうが良い
— ママリーゼ【アンケ固定なう】 (@parariqa) February 1, 2016
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