合理的配慮と、成長の「時間ぐすり」

発達障害児は、大多数の定型さんに比べ、比較的育ちがゆっくり(もしくは育ちにくい)なものだと理解しています。つまり、医療機関などにかからないうちの「発見」は…まわりの定型さんと比べに比べることで生まれる、と思われる

ここで、対象のこどもと比較されるであろう定型さんは、

1)自分の小さい頃イメージ
2)こどものまわりのお友達
3)学術的な指標

の、3パターンになってくると思います。

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わたしの場合、1)はあり得ませんでした。明らかに自分は定型ではない、という意識をそもそも持っていたから。例えグレーゾーンであったとしてもです。そのへんに自信がなさすぎて、3)の学術的な指標を0歳代からw 読み漁っていました。

これは冷静な判断をくだしやすい一方、わたしの偏った知識に基づきやすい、というデメリットがあります。療育関係の方や精神科医師とは意思疎通(誤りを指摘して頂くことも含めて)がたいへん簡単ですが、定型さん教育のプロフェッショナルである小学校担任などとはまず、意識のすり合わせから始めなくてはなりません。

※向こうにすり合わせの必要性を感じてもらえれば可能、くらいの話…

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では。
定型さん教育における意識、とはどんなものか?

療育ともだちのママさんなど、つらつら世間話をするに…どうも、1)の「自分の小さい頃」から判断されている方が結構多いなあという気がします。定型ママさんからも凹凸っ子は生まれている、もちろん。

そういう方々は、本当にあたたかさを持っている。基本的にこどもの可能性を信じているし(わたしなどは特性だから無理だしと代替案をすぐ考える)、それに応えてこどもは伸びていくこともある。つまり、待つことができる。のです。

待つ、ということ。
こどもの成長に賭け、時間ぐすりをつかう選択

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「時間ぐすり」は、小学校や保育園といった一般的な(そして伝統的な)教育機関における意識と、ぴったり合致しています。障害の程度にもよるとは思いますが。

教育界において、表向きのトレンドは「合理的配慮」です。それと、伝統的な「成長を待つ」意識は、まったくクロスしません。結果として、形だけの配慮になりかねない。っていうか、もうなってる。w

定型ではない育ちをする子は、そもそも「成長を待ってる」場合じゃないケースが多いはずです。こどもが損なわれる前に手を打つべきなのです。情緒面での凹凸であっても同じなはずなんですが…見えない障害=発達障害は、そのあたりがとても不利ですね。

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とまあ、愚痴はそのへんにおいといて。

しかし、わたし個人としては…こどもが関わる教育者のなかに、「成長を待ってくれる」ひとがいてもいいかな、と思っています。
全員それじゃ困るけど。

凹凸を持つこどもを受け入れる社会は、みんながみんな知識豊富じゃなくてもいいだろうと思うからです。一番重要なのは、「今できなきゃ、みんなに合わせられなきゃ人間失格」みたいなイメージをこどもに持たせないことですので。

実際、知識ある療育者のほうが、こどもにとっては厳しく辛い面も多々ある。その人がいるから学んでいけているけれど、心の助けにはならない。

おじいちゃんのスタッフがひとりいて、あー知識とか全然ないな…と思うんだけど、ジョンはその人のことが大好きなのです。絶対にジョンの現状を否定せず、大らかに、必ず育っていけるよ!というメッセージを全身から発しているからです。でもゆるすぎて、よく一緒に怒られてるけど。w

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日本的といわれるかもしれませんけれど。双方、うまく混じっていけばいいなあ、といつもおもっています。小学校との交渉も、そこをうまくブレンドできればいいなあと。

言うのは簡単なんだけどね。







マイペースLIFE

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